「90メートル」は、ある距離だ。遠くもなく、近くもない。その曖昧な間合いに、人が一生抱えることになる感情が凝縮されている——そんな映画が2025年に公開され、静かに口コミを広げている。
「90メートル」というタイトルが指すもの
映画のタイトルを聞いたとき、真っ先に頭をよぎるのは「何の距離なのか」という疑問だろう。100メートルでも1キロでもなく、90メートル。答えは物語を観れば腑に落ちる仕掛けになっているが、この「少し届かない距離」という感覚こそが、本作全体を貫くテーマだ。
夢に手が届きそうで届かない。親のそばにいたいけれど、自分の人生も捨てられない。そのどちらも正解で、どちらも間違っていないという複雑さを、中川駿監督は90メートルという具体的な数字に落とし込んだ。
西野七瀬と菅野美穂、この2人が演じるからこその説得力
主演の西野七瀬が演じるのは、夢を諦めかけた主人公の青年役。菅野美穂が難病を抱えた母を演じる。この組み合わせが発表されたとき、多くの映画ファンが「意外と面白い座組だ」と感じたはずだ。
西野七瀬はもともと乃木坂46のセンターとして活動し、女優業に本格転向してからは着実にキャリアを積み上げてきた。彼女の最大の武器は「何かを我慢している目」だ。声高に感情を叫ばず、沈黙の中に感情を滲ませる演技は、本作の主人公というキャラクターに驚くほどフィットしている。
一方の菅野美穂は、難病を抱えながらも息子を支えようとする母を体当たりで演じた。2000年代から活躍し続けるベテランが、今なお新しい母親像を更新し続けているという事実——これだけで本作を観る理由になる。
釜山映画祭受賞が示す「普遍性」
本作は釜山国際映画祭での受賞経験を持つ。日本国内だけでなく、韓国の映画人たちも高く評価したという事実は重要だ。韓国映画界といえば、家族ドラマと感情描写において世界最高水準の洗練を持つ。その目利きたちが認めた作品が、単なる「泣ける邦画」で終わるはずがない。普遍的な親子の葛藤、夢と責任の狭間で揺れる人間の姿が、言語の壁を超えて届いたということだ。
Mrs. GREEN APPLE大森元貴が紡ぐ主題歌の世界
主題歌を担当するのはMrs. GREEN APPLEの大森元貴。バンドとしての活動のみならず、ソロとしても楽曲提供を行う大森が、本作のためにどんな言葉を選んだのか。Mrs. GREEN APPLEの楽曲には一貫して「走り続けることへの肯定」がある。止まってしまいそうな瞬間に背中を押す音楽性は、夢を諦めかけた主人公の物語と共鳴する。エンドロールで流れる楽曲が、映画で受けた感情をもう一段深くまで連れていく体験は、劇場でしか味わえないものだ。
「介護と夢の両立」が今の時代に刺さる理由
日本では要介護・要支援認定者数が700万人規模に達するとされる。誰もが「家族の介護」を他人事とは言えない時代に、映画『90メートル』は正面から向き合う。夢を持つことは美しい。でも家族が倒れたら、その夢はどこへ行く?この問いに映画は安易な答えを出さない。出口のない問いを共有することが、時に最良の慰めになる。ぜひスクリーンで体感してほしい。観終わった後、帰り道に誰かに電話したくなる映画だ。


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