映画館のスクリーンにその姿が映し出された瞬間、多くの観客が息を飲んだ。あのアリアナ・グランデが、フリルだらけのドレスをまとったグリンダとして、声をまっすぐ客席へと届けてきたのだ。「ポップスターの映画出演」という言葉で片付けるには、あまりにも大きな仕事だった。
ウィキッドとは何か──20年以上愛され続けるミュージカルの映画化
2024年11月22日に北米で公開された映画『ウィキッド』(監督:ジョン・M・チュウ)は、1939年の映画『オズの魔法使い』をベースに生まれたブロードウェイミュージカルの映画化だ。原作ミュージカルは2003年にブロードウェイで初演されて以来、20年以上にわたって世界中で上演され続けており、日本でも宝塚歌劇団が上演してきたほど熱狂的なファン層を持つ。
物語は、後に「西の悪い魔女」として知られるエルファバと、「北の良い魔女」グリンダの出会いから始まる友情と成長の物語。単純な善悪の対立ではなく、社会的な偏見や同調圧力を鋭くえぐるテーマが、世代を超えて支持されてきた理由だ。北米での映画版の興行収入は公開から数週間で3億ドルを突破し、ミュージカル映画としての期待値の高さを改めて証明した。
アリアナはなぜグリンダに選ばれたのか
グリンダ役にアリアナ・グランデが起用されると発表されたとき、ファンの間では「声は合う」という期待と「あの世界観に馴染めるのか」という懐疑が入り混じった。しかし、監督のジョン・M・チュウはキャスティングの理由をこう語っている。「彼女の声だけでなく、表情の中に脆さがある。グリンダが持つ、華やかさの裏にある孤独を体現できる人物を探していた」。
実はアリアナとミュージカルの縁は深い。10代の頃、ブロードウェイのミュージカル『13』(2008年初演)でキャリアをスタートさせており、音楽的なルーツはポップスよりもずっと舞台寄りだ。7オクターブとも言われる声域の広さは、訓練されたミュージカル俳優としての素地があってこそ。だからこそ、グリンダという役にリアリティが生まれた。
「For Good」が世界を動かした──シンシア・エリヴォとの化学反応
映画の中で最も批評家の評価を左右したのが、クライマックス近くでエルファバ役のシンシア・エリヴォとともに歌う「For Good」だ。この楽曲は、ミュージカル版でも屈指の名シーンとして知られるが、映画版では二人の生身の演技がそこに重なった。
シンシア・エリヴォは、映画『ハリエット』(2019年)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた実力派俳優。舞台出身で、トニー賞・グラミー賞・エミー賞を制覇したEGOT達成まで残りオスカーのみという存在でもある。そんな圧倒的な実力者を前にして、アリアナは圧倒されることなく対等に渡り合った。批評サイトRotten Tomatoesでは批評家スコア88%を記録し、「キャストの演技が作品を支えている」という評価が相次いだ。
アカデミー賞助演女優賞ノミネート──ポップスターが超えた壁
第97回アカデミー賞(2025年3月授賞式)において、アリアナ・グランデは助演女優賞に初ノミネートされた。受賞こそ逃したものの、この事実が持つ意味は小さくない。アカデミー賞の演技部門は、映画界の最高峰の評価機関による判定だ。ポップスターがそこに名を連ねるためには、単に「歌がうまい」だけでは足りない。表情、間、身体表現、共演者との対話──そのすべてが審査対象になる。
過去にポップスター出身の俳優が演技賞を受賞した例はあるが、ノミネートすら難しいのが現実だ。アリアナのノミネートは、彼女が「歌手として出演した映画」ではなく「俳優として出演した映画」の文脈で評価されたことを意味する。これはキャリアの転換点として記録されるべき出来事だ。
撮影と並行してリリースした『エターナル・サンシャイン』の衝撃
映画の撮影期間中、アリアナはもうひとつの大仕事を同時に進めていた。2024年2月にリリースされたアルバム『エターナル・サンシャイン』だ。前作『ポジションズ』(2020年)から約4年ぶりとなるこの作品は、全米アルバムチャート(Billboard 200)で初登場1位を記録。批評家からも「彼女のディスコグラフィの中で最も成熟した一枚」と高く評価された。
通常ならば、映画の主要キャストとアルバム制作のどちらか一方でも十分なプレッシャーになる。アリアナはその両方を同じ時期にこなした。スケジュール管理の問題だけでなく、精神的・感情的なエネルギーの消耗を考えると、この実績は単純に驚異的と言うほかない。
グリンダという役の難しさ──コメディと深みの同時演技
グリンダは一見すると「わかりやすいキャラクター」に見える。明るく、おしゃれで、ちょっと自己中心的な魔女。しかし物語が進むにつれ、彼女は社会の「正しい側」に立つことの重さ、友人を失う痛みを経験していく。表面上の明るさと内側の孤独を同時に演じなければならない、難易度の高い役どころだ。
アリアナはこの複雑さを、過剰に「演じる」のではなく、自然に体に宿らせることで表現した。ファンからは「グリンダがアリアナに見えなかった」という声が多く上がった──これは最大の褒め言葉だ。役者として完全にキャラクターに没入できた証拠であり、「ポップスターが映画に出た」という先入観を消し去るほどの説得力があった。
続編『ウィキッド:フォー・グッド』への期待
映画『ウィキッド』は二部作として制作されており、続編『ウィキッド:フォー・グッド(Wicked: For Good)』は2025年11月21日の公開が予定されている。第一作でエルファバとグリンダの関係性の土台が築かれた今、続編では二人の物語がどのような結末を迎えるのかに注目が集まる。
アリアナ・グランデは、女優に転身したのではない。歌手として積み上げてきたもの──声、表現力、感情の振れ幅──が、スクリーンの上で別の形で花開いただけだ。続編のグリンダがどう変化しているか、今から楽しみでならない。一作目を未視聴のファンは、続編公開前の今がまさに最高の視聴タイミングだ。映像配信サービスでも順次配信が開始されているため、ぜひチェックしてほしい。


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