「早川アキって、声に重さがあるんですよね。何も言わないのに、すごく多くを語っている感じがして」
アニメ『チェンソーマン』放送後、SNSにはそんな声が溢れた。静かな侍のように画面に佇む早川アキ。その声を担当した若手声優・坂田将吾は、当時まだ業界の中では「知る人ぞ知る」存在だった。
それから数年。坂田将吾の名が再び大きく取り沙汰されることになる。荒木飛呂彦の漫画史上屈指の名作として名高い『ジョジョの奇妙な冒険』第7部『スティール・ボール・ラン』——その主人公、ジョニィ・ジョースター役に坂田将吾が抜擢されたのだ。
チェンソーマンの静かな男が、ジョジョ最高傑作(と多くのファンが称する)の魂を担う。早川アキとジョニィ・ジョースター——この二役は、演技上のアプローチとして、ほとんど正反対の極に位置している。では、坂田将吾はいかにして、この”真逆の魂”を自分の中に宿したのか。
早川アキという役——「言わない演技」の難しさ
『チェンソーマン』の早川アキは、どこか古風な男だ。感情をあまり表に出さない。仲間への愛情も、復讐への執念も、すべてを内側に抱えて前に進む。
この種のキャラクターを声で表現することは、実は非常に難しい。泣いたり笑ったり怒鳴ったりする役は、感情の動きがそのまま声に出せる。しかし早川アキのように「感情があるのに出さない」キャラクターは、「出さないこと」を演じなければならない。無表情に見えて、実は感情でパンパンになっている——その緊張感を声に含ませるのだ。
坂田将吾はあるインタビューでこう語っている。「アキは常に何かを抱えていて、でもそれを口にしない人。だから僕も、台本を読むときに”何を言わないか”を考えるようにしていました」。
これは声優としては相当高度な演技論だ。普通は「何を言うか」を考える。それを「何を言わないか”に反転させるというのは、キャラクターの内面構造を丸ごと飲み込んだ上でなければできない芸当である。
作中、アキが静かに「ありがとう」と言うシーンや、大切な人に背を向けて去るシーンで、視聴者の多くが胸を締め付けられたのは、その声の「重さ」ゆえだ。何万言もの台詞よりも雄弁な、一言の沈黙——坂田将吾は20代のうちにその境地を体得してしまった。
スティール・ボール・ランとは何か——ジョジョ史上最高の遺産
1987年から連載が続く『ジョジョの奇妙な冒険』は、部ごとに舞台・主人公・テーマが大きく変わる異色の長編漫画だ。第7部『スティール・ボール・ラン』(ウルトラジャンプ2005〜2011年連載)は、舞台を19世紀末のアメリカ大陸横断レースに設定し、「ジョニィ・ジョースター」という名の元天才騎手を主人公に据えた。
ジョニィは両脚が動かない。事故により下半身不随となり、夢も誇りも失った男が、謎の騎手ジャイロ・ツェペリとの出会いを通じて、再び立ち上がろうとする物語だ。
ジョジョシリーズの主人公は代々「無敵感」を持つキャラクターが多かった。しかしジョニィは真逆だ。弱く、壊れていて、自己嫌悪の塊のような男が、少しずつ、本当に少しずつ、人間としての尊厳を取り戻していく。だからこそジョジョファンの間では「SBRが一番好き」という声が多い。制作はdavid production、Netflix配信という形式は、その期待値の高さを物語っている。
ジョニィの演技——「内面爆発」という真逆のアプローチ
早川アキが「感情を出さない演技」だとすれば、ジョニィに必要なのは「感情を剥き出しにする演技」だ。ただし、単純な絶叫系とは違う。ジョニィの叫びは常に「傷」から来る。プライドを踏みにじられた怒り、失った夢への後悔、仲間への恐れと信頼——すべての感情が、深い傷口から溢れ出すような質感でなければならない。
アキの「出さない演技」とジョニィの「出す演技」は、技術的には対極だ。しかしその根底には共通点がある。どちらも「キャラクターの内面の傷を、声で体現すること」なのだ。
坂田将吾はあるインタビューで触れている。「ジョニィはアキと真逆のように見えるけれど、根っこは似ているかもしれない。どちらも、傷を抱えた人間なんです。ただアキはそれを見せない。ジョニィは見せてしまう。そのスイッチをどこに置くかが、今回の一番の課題でした」。
チェンソーマンからSBRへ——「脇役から主役」という急加速
青二プロダクション所属の坂田将吾は、チェンソーマン以前にも着実にキャリアを積んでいた。しかし全国規模での認知という点では、チェンソーマンが決定的な一撃となった。深夜アニメ随一の話題作で、主要キャラクターの声を担当する——これは若手声優にとって、まさに「時代に選ばれた」瞬間だ。
そして早川アキで培った「傷を抱えた男の演技」という土台が、ジョニィ・ジョースター役へと直結した。制作陣がオーディションで坂田将吾を選んだ理由は、その「内側の重さ」にあったとされる。派手な技巧よりも、静けさの中に宿る傷の深さ——そのアプローチがSBRの世界観とジョニィというキャラクターに、完璧にはまったのだ。
声優・坂田将吾が示す新しい時代
ここ10年ほどで、声優という職業の評価軸が変わってきた。以前は「技術の広さ(多様なキャラをこなせるか)」が重視されたが、今は「深さ(一つのキャラクターにどこまで没入できるか)」を問われる時代になってきている。
坂田将吾はその象徴だ。早川アキもジョニィも、「こいつしかいない」と思わせる必然性がある。声の質云々ではなく、キャラクターの傷の深さと声優の理解の深さが、ピタリと一致したときに生まれる「化学反応」——それが坂田将吾の最大の武器だ。
関連作品として、藤本タツキの『ルックバック』『さよなら絵梨』や、荒木飛呂彦の『岸辺露伴は動かない』シリーズに触れることで、坂田将吾が担う世界観の豊かさをより深く理解できる。先輩声優では宮野守、梶裕貴ら「内面の深みで魅せる」タイプとの比較でも、坂田将吾の立ち位置がより鮮明になる。
まとめ
- 坂田将吾は、早川アキ(抑制演技)とジョニィ・ジョースター(内面爆発演技)という対極の役を担い、声優としての幅と深さを証明した
- SBRは「傷を持つ主人公の成長」という点でジョジョシリーズ最高難度のキャラクター造形であり、その担い手に選ばれたことの意味は大きい
- チェンソーマン→SBRというキャリアの跳躍は偶然ではなく、早川アキで培った「傷の内面化」という演技哲学が直接つながっている
- 「出さない演技」と「出す演技」、その根底には「傷を声で体現する」という共通の信念がある
- 声優の評価軸が「技術の広さ」から「役への没入の深さ」にシフトする時代に、坂田将吾は最も先端を走る存在の一人だ
スティール・ボール・ランのアニメ放送は、ジョジョファンのみならず、声優ファン、そしてアニメ界全体にとっての一つのベンチマークになるだろう。その中心に、早川アキの”沈黙”を知る男・坂田将吾が立っている。まずはチェンソーマンを見返し、アキの声の「重さ」を改めて感じてみてほしい。その先に、ジョニィの魂が待っている。

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